クリエイター失格(?)のマイヒストリー

2019年2月10日

才能がない現実から逃げてばかりです。

振り返ってみると、自分にはクリエイターとしての能力がないことを改めて思い知らされます。

今回は絵を描くことになったきっかけや、その時の失敗、そして絵描きどころかクリエイター廃業に至り、Forzaのデカール作成者になるまでを書いてみようかと思います。

ゲームを作りたかった(2004年夏~秋)

今から14年前の夏から秋にかけて、PC向けのゲームを作ろうと思っていました。チアリーダーの女の子とふとしたことで仲良くなる、という自分の欲望を詰め込んだゲームを。自分はゲーム作成スキルに関してはNScripterを少しかじっただけで、物書きの能力は皆無。しかもイラストなんて描けず……。そのために最初は人を集めたのですが、集まったのはどうもパッとしない人たちばかりでした。

そのせいか、ゲーム作成サークルの方向は二転三転し、最後は自分の暴走で一巻の終わりとなりました。

その後で個人サイトで知り合った人たちとゲーム作成を試みました。その一方で小説をちまちまと書きながら。しかし、物書きに必要なインプットが足りなかったことと、スクリプト言語の知識不足が災いして暴走し、その集まりからも追放されました。

そして、当時運営していた自分のサイトに「作りたかったのに」という未練たらたらの文章を書いたところで、「そんなことしている暇があったら一生懸命働きな」「小説なんて才能ないからやったって無駄」とのコメントが返ってきました。そこに「馬鹿野郎!」と返信し、当時のハンドルネームごとサイトを閉鎖しました。

絵描き挑戦時代(2004年秋~2006年11月)

ゲーム作成の道を閉ざされて一時は絶望していた自分でしたが、絵なら何とか自分の表したいものを作れるだろう……と、ゲームの次に絵描きに挑戦しました。最初はひたすら模写から入り、2005年の春にペンタブレットとスキャナを買ってからは実際にお絵描き掲示板で絵を描くようになりました。

ちょうどペンタブレットを買ったタイミングで、とある同人作家(名前は伏せます)の所で塗り絵があったので物は試しで参加しました。最初というだけあって少し失敗したところがあったのですが(範囲指定など)、同人作家さんに褒められたことは自分にとって満足でした。

その後も自分で描く喜びを味わって絵を描いたのですが、残念なことに自分に画力があるかというと、落書きよりもマシなレベル……というか、落書き以下のレベルでした。デッサンも満足にできない、色数も同人作家さんに比べるとあまりにも少なすぎる、などなど。

その結果、自分は絵を描く情熱が失せていき、ファンタジーアースゼロのことを扱ったGameWatchの記事を見てからオンラインゲームにドハマりして絵を描くことを諦めました。

MikuMikuDanceのPさんへの挑戦(2011年冬~2012年夏)

再びクリエイターの道を開いたのは大震災がきっかけでした。大震災で有線回線が使えなくなり、それに伴ってオンラインゲームができなくなりました。その時に、ふとしたことでニコニコ動画を見たらとある3DCGモデルを使った動画が目に飛び込みました。それが3Dカスタム少女を使って作られていると知り、3Dカスタム少女のアップデート版が発売されたのと同時に購入しました。

その後で3Dカスタム少女のデータをほかの形式に変換できる方法を調べて、MikuMikuDanceで使われている形式に変換して、MikuMikuDance上で静止画を作成しました。すると、長らく味わっていなかった作ることの喜びを味わうことが出来ました。もっといいモノを作りたいという欲求から、3Dカスタム少女関係のIRCチャットに出入りしました。

そこで出会った人に、MikuMikuDanceのIRCチャットで追い出された人がいました。その人からアドバイスを請おうとしたら、「MikuMikuDanceのIRCチャットで気に食わない人物がいるから、その人を追い出せばアドバイスしてやる」と言われ、怖くなって3Dカスタム少女関係のIRCチャットから出ていきました。

それから少し後で、とあることをきっかけとして、当時隆盛を極めていたボーカロイド界隈のSNSに入会することが出来ました。そこでの日々は刺激的なものでしたが、MikuMikuDanceの開発をしている人の件で炎上したのと、3DCG作成で行き詰ったことが原因で暴走しました。その結果、自分はMikuMikuDance界隈での信用を失って自らその道を閉ざすことになりました。

なお、その時出会った人に瀬之本久史さんの昔からの友人であるおやぶんさんが居ました。その人にも散々迷惑をかけてしまいました。おやぶん式ミクの素体を提供してくださったことは本当に感謝しています。まともに作れなくて申し訳ありませんでした……。どうか安らかに。

やけっぱちでMikuMikuDance界隈を飛び出し、WiMAX回線が使えるようになったことをきっかけに、PSO2をはじめとしたオンラインゲームを再び楽しむようになりました。

しかし、クリエイターの道を諦めきれずに2011年11月にMikuMikuDanceに再び手を出しました。その時に静止画を2枚ほどニコニコ静画に投稿しましたが、2枚目を投稿した時点でコメント欄が大荒れとなりました。どうやら使用禁止の3Dモデルを使っていたらしく、大慌てで当該画像を削除しました。

「自分の表現したいものを表現できない」と知るや否や、自分は絶望のあまり発狂しました。その結果、自分は絵を描いていた時にアドバイスしてくれた同人作家さんに嫌われ、当時のマイミクにも「中途半端なんだよ!」と叱られました。

その結果、自分はクリエイターの道を再び閉ざしました。

デカール作成者の道(2016年~2018年)

そして、最後に紹介するのは、クリエイターとして唯一成功したForzaシリーズでのデカールの作成です。

最初はなすさんあたりの動画を見て「自分でも作れるかな……?」と思ったのですが、これが実に大変で、実際に始めたのは2017年の2月からでした。題材に選んだのは『ガールフレンド(仮)』というスマホゲーでした。こちらは今までに6作品を発表し(浅見先輩、りさちゃん、久仁城先輩、クロエ先輩、かがみん、アネット先輩)、かなりのダウンロード数を稼ぐことが出来たうえ、Forzaの痛車愛好家の知り合いを作ることが出来ました。海外の人と知り合うことができたのは自分にとって最大の収穫でした。

しかし、2017年11月~2018年10月まではガルフレのゲーム内の知り合いに引っ張りまわされ、肝心のデカール作成ができなくなりました。挙句の果てには緑内障となり、遂にクリエイターへの道は閉ざされました。

振り返ってみると……。

こうして振り返ってみると、自分の過ちで失敗して離れていったことが多すぎると感じます。人の考えに流されやすく、その都度方向転換してばかりで、主体性なしで中途半端……。2012年当時にネット上の知人に言われた「中途半端なんだよ」の一言は、今でも自分の胸に突き刺さっています。

あれから6年。緑内障を患い、失明の危機と戦うことになりましたが、Forzaシリーズのデカール作成で報われたことは自分の今後の人生にとって糧となるでしょう。一時期だけとはいえ、きっちりやり通せたんだから。

さて、自分のことを十分語ったことだし、あとは本でも読むか、アズレンのイベントを終わらせないと(バンドリのイベントは蘭のカードを手に入れたので無事終了)。